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2006年8月 6日 (日)

ブログを持ったサルの組織に対する態度

旧人類は社会や会社という組織に所属する時には、自分(家族を含む)の身を守るため、生きていくため、と考えていたのが多数だった。

しかし、ブログを持ったサルは社会や組織に所属しても、依存はしていない、という個体が増えてきた。

これはブログを持ったことによるサルの精神構造が変化した現れたと考えられる。

すなわち、ブログは常に自己表現のためのツールであり、インターネットという限定された社会ではあるが、その社会への宣言を日々繰り返していることにより、自己を成長させたいという欲望が強くなったためという報告がある。(by ホーライ)

ブログを日々書いていると、それがたとえ平凡な日々の記録だったとしても、ブログを書き始める前とはサルの対社会としての姿勢が違ってくる。

この姿勢がそのままリアルのアナログな社会でのサルの行動に全て反映しているとは限らないが、全く反映していないとも言えない。

ブログを持ったサルは社会や会社等の組織を自己実現、自分の成長、自分の夢のための『場』として捉えるようになってきたのである。

紙の日記に書いている限りでは、自分の意思表明を世界に対して行っているとは言えないが、インターネット上に存在するブログに自分の文字(あるいは意志や意思、気持ち)を創出することは、意識しているかどうかは別として、社会の第三者に意思を確認してもらう作業なのである。

これがブログを書く意義のひとつである。

ブログを書くことによるサルへのメリット

閲覧者が数千人もいるようなブログは普通の人ではあまりない。

通常は数十人から多くても数百人だろう。数人だとしても不思議ではない。(インターネットの第一法則「そのサイトを一番見ている人はそのサイトの設置者である。」)

だから普通のサルではブログを書くことのメリットは相互啓発よりも自己表現にある。

年賀状から始まり、カラオケ、個展など、自分の存在を他に知らしめたい、というのはサル本来の欲望であり、人類の場合、これを「自己顕示欲」と呼ぶ。

それではブログを書くことで、単に自己満足しか得られないかというと、そうでもない。

ブログを持とうと思ったサルは、ブログを持っていないサルに比べて、内省する傾向にあると思われる。

しかし、ただの「反省ザル」だったら、それをブログに表現する必要はないし、紙の日記帳でもいいわけだ。

それでは何故、サルはブログを持つようになったのか?

そこで、ブログの特徴を考えるのが有効だと思われる。

まず、ブログはインターネット上に置かれている。

それが最初のそして最大のヒントになる。

ブログに飽きたサルが示す集団形成

ただ一方的に情報を発信する傾向が高いブログに飽きたサルは、SNSに集うようになる。(場合によってはブログ無しに、いきなりSNSに所属することもあり、最近はその傾向が顕著である。)

ブログでも群れを作るための機能があるのだが、群れを作りたいサルの場合、それだけでは物足りないという報告がある。

そのためSNSではより群れを作りやすい機能が追加されている。

たとえば足跡機能である。

これは自分の縄張りに入り込んだサルの足跡が残る機能で、その気になればその足跡を追いかけていき、そのサルを発見できる。

さらにその気になれば交流が生まれる。

また、より群れを作りやすいようにSNSでは「コミュニティー」を作ることも可能だ。

このコミュニティの特徴は「生存するために」というよりは「QOL(生活の質)」を高めるためや、困ったことサルを助ける相互援助のために作られることが多い。

こういうコミュニティがどれ位存続できるかの詳しい研究はまだ無い。この方面の研究が待たれるところである。

このようにして旧世代のサルと同様にブログを持ったサルは、孤独よりも集団生活を好む傾向にあり、それが子孫繁栄に繋がるようである。

ブログを持ったサルの生物学的形態

ブログを持った(ブログを書いている)サルは通常、群れを作らずに、一人で行動することが多い。

その行動半径はネット内に止まらず、アナログな生活範囲にまで及ぶ。

しかし、ブログを持ったサルの生産物であるブログは一人で行動することもあるが、群れを成すこともしばしばある。

それは「トラックバック」という機能により群れを形作るのだが、ボスザルが存在するという報告は今まで無い。

また、ブログを持ったサルは、自分の意思に関わらず、分類されることもある。

それは「ping送信」やグーグル等の検索エンジンによって機械的に、時には人為的に分類される。

さらに特徴的なのは、旧種のサルの群れとは違い、トラックバックなどで群れに見えるサルたちの間で、しばしば権力闘争があることだ。

通常、従来のサルはボスザルの引退に前後して、権力闘争が始まるが、ブログを持ったサルたちの闘争はいつでも起こりえる。

この群れの特長として上げられることに、同種(あるいは近種)のサルが群れを成すことがほとんどなのだが、最近の傾向としては全く異質なサル同士による一方的な群れ作りも行われるようになった。

これはブログを持ったサルにとって驚異になることもあれば、新しい品種の子孫繁栄のチャンスになることもある。

ブログを持ったサルの生態観察

ブログを持ってしまったサルは明らかにそれ以前のサルとは生態が違う。

まず、全ての世の中のできごとが自分の表現の対象となる、という認識をし、それに伴う行動をとる。(ブログに書く。)

まだ産毛のサルは、自分の半径5m以内のことを、面白おかしく、ときには切なくブログに記録する。

剛毛が生えてきたサルは、さらに行動、認識範囲を広くとり、ときには旧世界のマスコミを敵にまわす、という過激な行動をとることもある。

これらのブログを持ったサルたちの出没範囲だが、きまって10ヘーホーメートル以内の個室だ。

その個室から奇妙な触手を伸ばして、世界に広がる情報を貪食する。
この情報はデジタルとは限らない。

ブログを持った新種のサルたちは雑食性となった。

以上が、第一世代のブログを持ったサルのおおまかな生態である。

ブログを持ったサルに変身する方法

誰でもブログを持ったサルになれる。

ブログがネット社会を席巻し始めたのはここ2、3年だ。(2004年~)

でも、日本のネット界ではそれより遥か昔から「日記」は盛んだった。
(リアルの世界ではもっと遥か昔(1000年以上前)から日記は盛んだった。)

日記とブログの違いはどこにあるのか?

まず一つ一つの記事(日記等)にコメントをつけることができること。

次にそのコメントと同時にリンクを張ることができることだ。(トラックバック)

更新記録をどこかに集結させるのも楽だ。

以上が機能面でのこれまでの日記とブログの違いだ。

では、内容的な違いはあるだろうか?

はっきり言って無い。

強いて言えばブログのほうが「ニュースにコメント的」という扱われ方をしているが、
ユーザーはそんなことはしったこっちゃない、のだ。

エキサイト等ではニュースにトラックバックを送信する機能があるので、それを利用するとニュースの閲覧者にも
自分のブログを見てもらえる可能性が高いが、それをみんなが利用しているかというと、全然、そんなことは無い。

だから、ブログでも昔の日記サイトと同様に極めて個人的な記録をつけていっても構わない。

そこで裸のサルである僕はブログを持ったサルに変身したのだが、
あなたも今から5分後にはブログを持ったサルに変身できる。

そして、10分後にはブログを書いているサルになり、20分後にはめでたく、ブログを書いたサルになれる。

ブログを持ったサル

人間の動物学的生態を解説した本には有名な「裸のサル―動物学的人間像」がある。

もちろん、僕たちは「単純」に毛が無いだけのサルだ。(少なくとも僕は。)

僕の本能的行動はほとんど高尾山にいるニホンザルと一緒だし、理性的行動(があるとしたならば)もせいぜいが上の動物園のチンパンジーと一緒だ。

(一緒だと思っているのは僕のほうだけで、もし、そのことを聞いたらニホンザルもチンパンジーも反対の意を表明するかもしれないが。)

数年前に出た本で「ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊」がある。

もちろん、僕は携帯を持ったサルだ。
だからと言って、高尾山のニホンザルに携帯を持たせたら、そのまま僕になるかというと、そうは問屋がおろさない。

なぜならば、僕はブログを持ったサルだからである。

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